息子への諭し

娘の運動会に来ていた息子に、今日の午後部活に行かないので、部活はどうした?とやんわり聞いてみた。補修のある子は出れないんだとのこと。だは運動会に来ていたのだと聞くと見たかったからだと。それは悪くない。ただやるべき事はやらないと彼の今後によいことはないので、表現に配慮しつつ、また最近思う未来について、自分なりの表現で伝えた。彼はよく、学校の友達をくそども、と言う。もし未来にそのくそどもと一緒にいることになり、自分は違うのだと思い続けながら同じ穴のムジナにいて悶々とすることになるのは不幸だ。それよりも、そこから抜けだすには彼らの階層から抜け出なくてはならない。勉強は役立つかどうかはわからん、その階層にることになるか別のところにいるためいられるかは自分で考えることだと。いやならやっておいた方がよいよ。と言うようなことをぃった。

これが、彼の心に強く反感を生んだようだ。ママに不満をぶつけていた。自分のペースでやっていて、言われるとやる気をなくすのだと。

それを自分なりに咀嚼して、ふと思った。

親が勉強しろといいその逃避で遊んでしまうのは、やるべき事は示されているのでやらなきゃいけないけどやりたくないという気持ちはあるものの、やることがわかっている時点で実は心持ちは安定しているのではないかと。一方、勉強が必要かわからないが、自分のいたい未来のためにやるべきかを考えなさい、と言うと、未来像を描いていない場合、むしろ不安となるのではないか。